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著作権

2022.6.10

第1回 木を見て著作権法を考える

 「木」と言われて頭に浮かぶもの…幹があって、枝があって、枝の先には葉っぱがあって…土の下には根があって。多くの人はそんなイメージが浮かぶのではないかと思います。

 ふと思いついてしまいました。

著作権法を「木」に例えてみたらどうなるのか

 

 まずは「幹」の部分…これは、著作権法第2条第1項第1号で決まりでしょう。“著作物”の定義にあたる条文です。

 著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」…著作権に関係するお仕事をしている人は、時々神のお告げのようにこの部分をそらんじてしまいがちですが、この著作権法における永遠不変の真理は、まさに「幹」。
 幹がなかったらどうなるのか。切り株を見て、「かつてここに木があった」と思う人はけっこうなロマンチストかもしれません。根も葉もあるけれど、「草」を木とは呼べませんね。木としてイメージしてもらうためには、やっぱり「幹」が必要ではないかと思うのです。
 生み出されたものが著作物になるためには、第2条第1項第1号に該当することが必要です。著作物にならなければ、著作権法は適用されません。木になるのか草になるのか、著作権法が適用されるのかされないのか…これを左右する「幹」および「第2条第1項第1号」の存在感!堂々たるものです。

 

では、「根」は何でしょう

 …意見が分かれそうですが、私は“無方式主義”だと思います。

 著作権法では、第17条第1項で、「著作者」は「著作者人格権」と「著作権」を「享有する」、と規定し、続いて第2項で「著作者人格権及び著作権の享有には、いかなる方式の履行をも要しない」と規定しています。“享有”の意味は、“権利や能力など、生まれながら与えられたものとして持っていること”で、“いかなる方式の履行をも要しない”は、手続きや申請をする必要はない、ということ。著作物を創作する者(著作者)には、その著作物を創作した時、自動的に著作権や著作者人格権が与えられる…これが無方式主義という日本の著作権法の原則です。

 裏を返せば、著作物を創作した者ではない者に、自動的に権利が与えられることはない、著作者ではない者が著作権を持つためには、法律の定めがあるか、当事者間で何かをしなければならない、ということになります。

 これが、無方式主義が「根」だと思う理由です。木があれば根があると思うのと同じく、著作物があれば権利を持つ者がいると思う…けれども、木も著作物も見えますが、根や権利を持つ者はすぐには見えないので、どこにあるのかわからない、どうなっているのかわからない、探ってみたら意外ととんでもないことになっている、または案外短くて真っ直ぐだった、とか、そんな感じです。

 

木々たちは「根」で繋がり棲みやすい環境を作っている

 

バラバラに立っているように見える木が、実は根によって地中で繋がり、養分や水分や情報を送りあっている、ということを本で読んだことがあります。

こういったところにも、無方式主義に「根」を感じてしまいます。無方式主義を知り、「では©マークは必要?」という疑問からベルヌ条約のことを知り、著作物の保護や流通に国際的な繋がりが不可欠なことを知る…そうやって、徐々に知識の「根」が繋がって著作権法の面白さに気づいていく人も多いのではないかと思いますし、国家間の「根」が繋がって著作権界という森が発展する、そんなイメージもあります。

 

 意外と、幹より根の方が、妄想が広がりそうですね。次回は、枝と葉について考えてみようと思います。

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